善巧寺

善巧寺は、北陸新幹線宇奈月温泉駅の東南東約3.8キロメートルの位置に鎮座しています。
また、富山地方鉄道浦山駅の東約100メートルの位置でもあります。

私は知人の法要参拝の折に御朱印を頂きました。

参拝日 令和7年11月14日
所在地 富山県黒部市宇奈月町浦山
497
山号 白雪山
寺号 善巧寺(ぜんきゅうじ)
宗派 浄土真宗
御本尊 阿弥陀如来

境内には、黒部市指定史跡、明教院釋僧鎔慶叟の碑があります。


その記述によると明教院釋僧鎔慶叟は本願寺空華学派の祖とあります。

僧鎔師(1723~1783)は、水橋(富山市)の渡辺家に生まれ、上市の明光寺の霊潭師に見込まれて同寺の養子となる。

与三吉・慶叟。
子練・雪山・空華・仰峰・甘露とも称した。
二十一歳の時、浦山の善巧寺に入寺した。

やがて京都に上り、同郷の先輩僧僕師の門人となり僧鎔と名乗った。
学林(のちの龍谷大学)で行った四度の講義を通じて評価が一段と高まった。
明教院釋僧鎔慶叟 宝暦八年(1758)頃、自坊に学塾空華盧を創設し、多くの学僧を育てた。

氷見の西光寺の尺伸堂、八尾の妙覚寺の善解室とともに、越中の各地に宗学を志す気風を生み出し、寺院の子弟たちは競って研さんの道へと歩み始めたのである。

空華盧について『新川郡学者略伝』には「今、世にある諸国の末弟およそ三千人」とある。 安永三年(1774)飛騨の古川(岐阜県飛騨市)で起こった教学上の争いを解決している。

天明三年(1783)、六十一歳で入寂、明敦院と贈り名されている。

僧鎔師滅後もその徳を慕い、入門を希望する者が後を絶たなかった。

それらの人たちは墓前で入門式を行い、「入門帳」に記名されているその数六十二名もある。

墓は最初本堂の後ろに在ったが、天保十二年(1841)に門弟の行忠師らによって現在地に再建された。

この墓の設計図が残っている。

善巧寺の境内には、樹齢約五百年をこえる大イチョウがあります。
この木は実を結びません。
江戸時代、この寺に学びの場「空華」を開いた僧鎔という住職がいました。

ある秋の日、境内で子供たちがイチョウの実を取り合い、けんかになっている様子を見かねた僧鎔は、木に向かって、「どうかもう実をつけないでおくれ」と語りかけました。

それ以来、この木は実をつけなくなったと伝えられています。